世界のむこう側へ

ほぼ失敗ばかりだけど、いろいろ実験しながら次世代のインターフェイスを探す旅をしています。

攻殻機動隊から見た「自己とは、何者なのか?」について

攻殻機動隊というマンガをご存知でしょうか

舞台は2030年
人は「電脳化」という、脳にマイクロマシンを注入し、直接インターネットにアクセスするというシステムが一般化しています

人々は常時、インターネットにアクセスし情報を出し入れすることが可能になりました

このシステムが一般化することで、人と情報と機械が密接な関係を構築することになります

ハイパーリンクで仮想現実世界がつながり
電脳化によって仮想現実世界と現実世界がつながる

そのハブになっているシステムが、クラウドだったり、ビジュアルコンピューティングであったり、AIだったりします
ビジュアルコンピューティングに関しては、IRシステムというシステムがインフラとして存在して、即座にデータベースから個人の脳に直接、データが送られる仕組みになっています
AIに関しては、播磨学園都市という筑波みたいなシンクタンクで発表されたニューロチップ(神経素子)が基礎になり、ロジコマというAI制御型戦略戦車が開発され実践投与されています
このAIは並列処理され、各戦略戦車が得た経験値を並列処理することで、状況をパターン化して最適解を統計的に導きだすという仕組みです
が、途中からAIに自我が生まれて初めます
かなり主観なのですが、攻殻機動隊の面白い部分はまさにここにあると思います

電脳化された人間、義体化された人間、サイボーグ、アンドロイド、ガイノイド、戦略戦車

どこからが人間と定義されるのでしょうか

そして、人格という定義はなんなのでしょうか

知識は人間も機械も並列処理されるようになれば、その知識は果たして本当に自分のものなのでしょうか

作中では「ゴースト」という表現を用いて、自分のアイデンティティ(自己?魂??)を表現しています

では、タチコマが自我に芽生えたのは「ゴースト」が備わったから?
ということは、ゴーストとは後天的なものになるのかもしれない

そうしたら自分のゴーストは、果たして先天的なもの?後天的なもの?
後天的なものならば、自分はタチコマとなにが違うのか
同じではないか

と、まぁこんな具合でループに入っていってしまう楽しい作品なので、是非機会があればご覧になってみてください